親族が語る生い立ち秘話…本田圭佑の「虚像」と「実像」
■冬でも半袖半ズボン
そんな本田の寂しさを紛らわしてくれたのがサッカーだった。司さんが高校時代にサッカー経験があったこともあり、本田は幼少期から兄と自宅前の道路や近くの公園、空き地でボールを蹴り続けた。夏場にはやぶ蚊が飛び回り、異臭の漂うドブ川にボールが落ちてもお構いなし。冬場でも半袖、半ズボンの薄着でサッカーに熱中した。
小学2年時からは兄を追うように、地元のクラブチームである摂津FCに入団。本格的にサッカーに没頭することで、貧しさ、母への追慕の念を消し去っていった。
現在にも通ずる負けん気の強さや見えっ張りなところ、あえて大言を吐いて夢を実現する人間性も、この頃に養われた。
「弘幸がサッカーがうまかったことや、私の息子の多聞(本田多聞氏)がレスリングでオリンピックに出場していたこともあって、圭佑は小さい頃から負けず嫌い。誰と何をやっても勝負を仕掛けないと気が済まない子になっていた。飯を食べるスピードや、家に帰る時も全て競争。負けると泣いて悔しがってね」(大三郎さん)