親族が語る生い立ち秘話…本田圭佑の「虚像」と「実像」
そんな浮き沈みの激しい生活による心労と子育てが重なったのか、本田の実母は次第に精神が不安定になり、本田が小学2年の頃に離婚。岡山の実家に戻った。残された長男・弘幸と圭佑の兄弟は、司さんと同居していた祖父・満さん(故人)と祖母・晶子さんの手によって育てられることになった。
本田の大叔父で1964年東京五輪にカヌー代表として出場経験を持つ本田大三郎氏(79)は、目を細めながらこう話す。
「兄(満さん)は圭佑らを引き取った頃、確かガスボンベを工場などに運ぶ運転手をしていた。ある程度のお金は稼げたが、それだけでは育ち盛りの弘幸や圭佑を食べさせてはいけない。2人の他に、家には司の姉の子で圭佑と同級生のようちゃんという子も預かっていた。だから、姉さん(晶子さん)は、清掃業や食堂の皿洗いなどの仕事を常に3つぐらい掛け持ちしてね。2人とも朝から晩まで必死に働いていた。そんな状態だったから、子供たちは学校から帰ってきても、自宅には誰もいない。小さい頃から何でもひとりでやらないと生きていけない環境だった。親の愛情を知らずに育ち、可哀想だったね」