佐賀北・百崎敏克監督の指導方針は「価値観を押し付けない」
■監督は静かに目立たぬように辞めます
――07年に優勝しましたが、12年夏は初戦敗退です。甲子園で勝つのは簡単ではないと。
「07年以降の5年間、甲子園に出られなかった時は『百崎は大丈夫か?』と間接的に聞くこともあった。県ではベスト4、ベスト8に入っているんですがね(苦笑い)。県で勝っても、九州大会ではなかなか勝てない。全国なら1つ勝てばいいのが正直なところ。佐賀県勢の2回の優勝は例外みたいなものと思う。最近の優勝校を見ても、私学はどんどん野球部を強化している。僕らが優勝したときは21世紀最後の公立の優勝と言われたが、普通の公立が勝つチャンスは年々、減っていると感じます」
――ちなみに私学から監督として誘われることもあるんじゃないですか?
「(苦笑いしながら)ないですよ。いろんな人から『あんた、辞めても行くところがあるんだろ?』って言われるけど、そんなタイプじゃないです。定年まであと3年。60歳になったら監督を辞めて、できれば教員として再雇用されたらいいなと。静かに目立たぬように辞めます(笑い)。(冗談っぽく)まあ、人の人生だからどう変わるかはわかりませんけどね(笑い)」