白鵬は“変化”否定 稀勢の里戦で噴出した空虚な「相撲道」論争
「相撲は純粋な競技ではなく興行です。だから八百長や暴力団との関係が表面化しても、あの程度の騒ぎで済んだ。それに大相撲には行司の他に勝負審判なんて者がいる。今は差し違えた行司は形だけでも進退伺を出す。でも、審判たちはおかしな判定をしても責任を取ったなんて話は聞いたことがない。先場所、審判部を批判した白鵬がマスコミに叩かれたが、批判されてもしょうがない部分はある」
■まるで報じられなかった双葉山の醜聞
横綱に相撲道を求める人は、69連勝した双葉山のことをよく引き合いに出す。しかし、「昭和の大横綱」とか「角聖」とか言われた双葉山に逮捕歴があることはあまり知られていない。
「双葉山は現役引退後、新興宗教にのめり込んだ。その関連で警官相手に大暴れして逮捕されたことがある(璽光尊事件)。双葉山を神格化したいマスコミは醜聞についてはほとんど報じないですからね。相撲は勝たないと昇進しない。どんな手を使ってでも勝てばいいのです。横綱の変化がダメというなら、横綱、大関は変化したら負けというような規則を作ることです。横綱に品格などというものを求めるのはうんざりです。それにしても、相撲中継の度が過ぎるヨイショはどうにかならないか」(松野氏)
大相撲に高尚なものを求めることほど、不毛なことはないのだ。