「いつもアウェー。ひとりでも応援してくれる人がいればそれでよかった」
空前の人気だった若貴ブームの真っ最中に土俵を務めた武蔵川親方は当時のことを「いつもアウェーだった」と振り返る。
「だけど、気にしなかったよ。確かにアウェーだけど、会場の中の全てが相手のファンじゃない。私を応援してくれるファンもいた。それがひとりでもいればいい、と思ってた。1万人収容の会場だったとして、1人、2人は私のファンがいる。その1人、2人のために戦うよ、と、そういう気持ちだった。自分の相撲に集中すればいいんだよ。私は好きなことやってるからね。相撲が好きだから、あまり苦労と思わない。相撲から離れたくないんだ。ハワイに帰っても相撲を教えられない。相撲はあるけどアマチュアで、やっぱり、自分がやってたプロの世界がいい。大相撲がいい」
外国出身者としては高見山に次ぐ2人目の部屋持ち親方になる決意をした背景には、そんな思いがあった。おかみさんが背中を押してくれたという。
「好きなことをやればいい、って言ってくれたからね。やらなければ何も始まらない、と思って、やることにした。(一年の半分は地方場所と巡業で)ほとんど会わないけどね」