<第1回>紙加工業を営んでいた親父は阪神のタニマチだった
9月3日は親父(勇郎)の命日。この時期はいろんなことを思い出す。亡くなったのは86年。阪神が日本一になった翌年。56歳だった。日本一の時は、工場の前で近所の人に樽酒をふるまってな。親父ほんまに喜んでたわ。
俺の実家は小さな紙加工業を営んでいた。紙加工いうのは裁断だ。従業…
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