後のスパルタ指導に影響も 「東洋の魔女」伝説の光と影
前回の東京五輪に熱狂した世代にとっては突然の訃報だ。
1964年東京五輪の女子バレーボールで金メダルを獲得した「東洋の魔女」こと、全日本メンバーの丸山(旧姓磯辺)サタさんが18日夜、大阪市の病院で亡くなった。72歳だった。「魔女」を率いたのは、日紡貝塚女子バレーチーム監督の大松博文氏。「鬼の大松」と呼ばれた同氏はスパルタ指導が代名詞となり、深夜まで続く練習や選手の体調を無視した指導には、当時も批判の声はあったが、東京五輪の金メダルですべてが美化された。
スポーツライターの工藤健策氏が言う。
「昭和30年代でも理論的な指導者はいました。しかし、女性相手に指導の範疇を超えるともいえる大松監督の言動が金メダルという結果になった。大松監督はますますカリスマ性を高め、強くなるためなら選手に厳しくあたり、それが暴力を肯定するというムードになってスポーツ界に広がった。暴力指導は時代とともに少なくなってきたものの、日大東北高の相撲部顧問が稽古中に部員をハンマーで叩いたり、のこぎりで脅したりしていたように、今も消えていないのが現状です」
選手に「鬼」と呼ばれているシンクロ日本代表の井村雅代ヘッドコーチ(66)は、体力の限界ギリギリまで選手を練習で追い込むが、選手の体調や体重、栄養管理にはかなり気を使っている。ライバル国の情報収集も怠らない。怒声や暴力など、常軌を逸した指導で強くなる時代ではない。