決定的亀裂の要因…金本監督が「掛布解任」を決めた事件
「掛布の考えもわかるが、現場の最高責任者は金本監督。仕方ないやろな……」
今季限りでの退任が決まった掛布二軍監督(62)について、あるOBはこう言った。
12日付の日刊ゲンダイに掲載した通り、掛布二軍監督の退任は金本監督(49)との指導方針の違いが最大の理由だった。
金本監督は1991年のドラフト4位で東北福祉大から広島に入団。三村敏之二軍監督(当時=故人)や山本一義コーチに厳しく育てられた。「本当に朝から晩までひたすら練習させられた。あれは人間扱いではなかった」と、当時を懐かしく語ることがある。
広島の厳しい練習は伝統だ。古葉竹識監督が黄金時代を築いた70年代から80年代には練習中に顔面パンチが飛んできて鼻血を流すのは当たり前。コーチが選手を殴って指導することに異を唱える者は皆無だった。さすがに現在の広島に鉄拳指導は見られないものの、緒方監督も練習の虫だっただけに、一、二軍ともに練習量の多さは今も12球団トップといえる。
金本監督はそんな古巣の指導を理想と考えていて、それは監督を支えるコーチ陣も同じだ。矢野燿大作戦兼バッテリーコーチ(48)は中日時代、星野監督の鉄拳指導に耐えた。片岡篤史打撃コーチ(48)も日本ハム時代に、「厳しさと練習量の多さでは球界で三指に入る」といわれた上田利治監督の薫陶を受けている。