実は理論派の一面も 中日再建託された与田新監督の“正体”
92年に当時TBSアナウンサーだった弘子夫人と結婚。プロ野球選手と女子アナの結婚の先駆けといわれた。1年目以降はケガに泣き、3年目の92年に23セーブで復活の兆しは見せたが、通算11年間で1年目を超える成績を挙げることはできなかった。「先取精神、ハングリー精神が強い男です」と、マスコミ関係者がこう言った。
「与田は亜大1年時に父親を亡くしている。病気療養の期間も長く、苦労もした。母親の内職を手伝ったこともある。1年目に肩を壊して投げられなくなっても、全然諦めなかった。社会人時代からメジャーが好き。米レンジャーズなどでコーチを務めたトム・ハウス氏がキャンプに臨時コーチで来た縁があり、4年目のオフの自主トレでメジャー流のトレーニングを学ぶため、トム氏を頼って渡米。彼の教え子である大投手ノーラン・ライアンとも親交を深めた」
広岡達朗GM時代のロッテに移籍し、2Aマイナーに野球留学をしたこともある。引退後、NHKの解説者時代には自費で渡米して安宿のモーテルに泊まり、レンタカーで取材したという。
「力でねじ伏せる投球スタイルと、『闘将』星野の継承者としてのイメージが強いが、地道に勉強してきたことが指導法に根付いている。押し付けの指導はしないし、WBCでコーチをやった時は、代表選手の所属チームのコーチに、好調時と不調時のフォームの違いを取材し、肘が下がる、体が開く、という特徴をつかんだ上で指導に臨んだ」(前出の関係者)
苦労を知り、理論も知る新監督。まずはお手並み拝見である。