“万年V候補”東海大を箱根初優勝に導いた両角監督の参謀力
「殴って辞めてやると思ったこともあった」
ゴールテープを切ったアンカーの郡司陽大(3年)は正直に言った。
第95回箱根駅伝で初の総合優勝に輝いた東海大。これまで何度もV候補に名前が挙がりながら無冠の続いた大学が大会新記録を更新して優勝を果たせたのはなぜか。
高校駅伝の名門、長野・佐久長聖監督から2011年に就任した両角速監督(52)の指導について、10区を走った郡司は「練習のときは厳しくて、言い方は悪いけど『殴って辞めてやる』と思ったこともあった」と言ってこう続けた。
「でも、裏では『(郡司に)期待している』と言ってくれていたときは、ずるいなと思いました。1年生の箱根後は『おまえを使わないで正解だった』と言われ、2年の箱根後はみんなの前で『郡司は使わないで正解だった』と。僕は『なにくそ』と思うので、先生はそれを理解されていて上手だなと。世間でいうパワハラも感じましたけど“怒られるうちが花”と言いますし、結果が出ていないときも怒ってくれたのは、今思うと期待してくれていたからだと感じています」
指揮官と選手の緩衝材となったのは、両角監督が14年に招聘した西出仁明コーチ(44)の存在。両角監督も「西出先生をコーチとして入れたのが正直言って非常に大きい。いろんなところに目が行き届くようになりました」と話す。
その西出コーチに指導の転換期について聞いた。
「きっかけは(昨年10月の)出雲(駅伝)で3位になって負けた頃から。このままではいけないと(記録会に出ず合宿で走りこむなど)練習方法を変えた。僕らは指導の先を見て説明するけど、選手は目の前のことで精いっぱいで意図が伝わらなかった。それから目指すものを事前にミーティングで伝えるようにしました。今まではNOと突き返していたところを受け入れてあげたり、トップダウンではなく話せる雰囲気をつくっていこうとなった。選手には『おまえたちが思っていることを言ってくれ』と言うようになりました」