プロ野球経験者初の早大監督に 小宮山悟氏「指揮官の信念」
プロ? ないでしょうねぇ……
――監督としての理想は。
「自分は何もせず、選手が動いてくれることがベスト。監督業はそういうものと思っている。戦う前にある程度、指示の伝達を終え、選手が能力をいかんなく発揮する。采配中、いろんな思いが出てくるでしょうが、選手が最初の指示通りにできるとなれば任せ切りで全然OKと思う。まあ、そんなことになるはずはないでしょうし、そんな連中が集まるところでやってもつまらない(笑い)」
――部員120~130人の大所帯。プロと違い、さまざまな目標を持つ集団をどうまとめていくか。
「それぞれが考えている通りに導きたい。それでいて、厳しい言い方をすれば、ベンチ入り25人は試合に出るのは簡単なもんじゃないと認識してほしい。昨年11月11日に初めて学生に伝えたのは『本当にうまくなりたい思いがあればうまくなれる。そのためにはうまくなれるだけのものをやらなきゃダメだ』と。人それぞれ力量差がある。うまいやつが努力したら下手くそは勝ち目がない。でもうまくなろうと思えば、そうなれるかもしれない」
――監督自身は2浪して早大へ入りドラフト1位でロッテ入団。44歳までプレーし日米通算117勝を挙げた。
「自分の成功体験で言えば、人生なんてどこで何が起こるかわからない。これこそが一番重要。自分を信じることはすごい強みになる。信じられるものをこちらが伝えられれば、目の色を変えて必死にやると思う。それでかなりのものを得られる。さらにそれが周りに相乗効果を生むようになった時に、びっくりするくらいのチームになると思う」
――プロ経験をどう生かすか。
「周りには言葉の重みが違うと言ってもらえる。ただ、実際にやるのは選手。言ったことの受け取り方にも能力差があると思う。こちらから下りていって、ある程度の水準まで引き上げるのがアマの指導者。さらに、プロに行きたいと言っても無理だというのも大人の仕事。努力するなら全面的に背中を押す。主将の加藤は何が何でもプロでやりたいという思いがある。プロの厳しさをアマ時代に叩きこんでおかないと、些細なところで勝負事は決まる。1年しか時間はないが、プロでも大丈夫な選手に仕上げないといけない。今のままでは無理だから、本人も納得した上で泥水をすするくらいの覚悟でやらないと」
――プロは指導者、アマは教育者と考えている。
「よかれと思って指導したことがマイナスになる可能性があるが、プロは責任の所在がはっきりしない。とくに一軍コーチは楽。言いっぱなしでいい。改善点が見つかれば指摘するだけでいい。扱う選手の力量はかなり重要で、アマはそれではダメ。教育者として、なぜこういう指導をするのかをきちんと伝え、どこを目指すかを確認しないといけない。やみくもに、ああしろこうしろ、とはならないように。いろんなところで指導しましたが、なかなか理解できないということの方が多いと思う。早稲田は比較的能力が高い選手が集まるチームだと思うが、のみ込みが早いと勘違いして失敗しないようにと思っている」
――将来的にプロ野球の監督、コーチは。
「基本的にはオファーは来ないですよ。まあ、早稲田の監督になったから、ということではないですが、オファーする側がどういう思いで臨んでくるかでしょう。よかったらどう? ってノリで話が来たときもありましたけど、こちらが気持ちに応えるだけの覚悟ができるお話になれば。まあ、オファーはないでしょうねぇ……(苦笑い)。プロは横のつながりが密。(自分は)扱いにくいって話になっていると思う。ほぼ間違いなく。ロッテ時代は、毎年のように補強などで文句を言っていた。あの野郎、生意気だ、くらいのことは言われているでしょう。ただ、自分が言っていることは正論と思っている。球団もそう思っているはずですが、正論をぶちかまされたら立場的に弱くなる可能性があるので、ちょっと扱いにくいなという。だからといって、信念を曲げるつもりはまったくない。僕は自分自身、味方にしたらこんな心強いやつはいないと思っている。その代わり、敵に回すと、こんな厄介なやつもいないっていう(笑い)」
(聞き手=藤本幸宏/日刊ゲンダイ)
▽こみやま・さとる 1965年、千葉県柏市出身。芝浦工大柏から2浪して早大教育学部入学。89年のドラフト1位でロッテ入団。横浜(現DeNA)、米メッツでプレー、2004年に1年間の浪人を経て、ロッテ復帰。現役時代の06年から早大院スポーツ科学研究科で「投球フォームに関するバイオメカニクス」を専攻し、修士号を取得。09年引退。日米通算117勝144敗4S7H。防御率3.74。引退後は解説者やサッカーJリーグ理事(非常勤)などを務める。