実業団の伊勢丹時代は自分の余暇の時間にラグビーの練習
伊勢丹に入社して9年後の00年。会社の事情で予算縮小、強化中止となって突如リーグ撤退を言い渡されました。
プロの道を模索し、フランス1部リーグのコロミエと契約して日本人初のプロ選手になりました。
世界のラグビー界では、僕にとって2度目のW杯となる95年大会以降、南半球の強豪国を中心にプロ化がスタートしていましたが、当時の日本は、プロ契約が認められていませんでした。
ところがフランスに渡って10カ月ほどすると日本ラグビー協会から連絡があり、日本で開催する7人制ラグビーの国際大会・ワールドセブンスシリーズで「日本代表にキャプテンとして復帰してほしい」と要望があったのです。フランスのチームに所属しながら日本代表でプレーすることが認められました。つまり、日本でも、ラグビーのプロ選手が容認されたのです。
このことは、日本ラグビー界にとって変革の第一歩になったと思います。(つづく)
(取材・文=フリーランスライター・中山淳)