「W杯をラグビー人気回復の起爆剤にしなければいけない」
吉田義人(元日本代表・50歳)
高校日本代表時代は遠征先のニュージーランドで好パフォーマンスを発揮。ラグビー強豪大学スカウト陣たちの垂涎の的だったが、当初の日体大から明治大に進路が変わったのはなぜか? ラグビー人口減少の実態など興味深い話も本人の口から語ってもらった。
男鹿東中学3年生の時に東日本中学生ラグビー大会で初出場初優勝。秋田工業高校時代も1年生からレギュラーになって日本一を経験しました。
僕の青春時代はラグビー一色でした。少年時代に「熱中時代」という人気ドラマに夢中になった影響で、いつしか将来は、主役の水谷豊さんが演じた北野広大先生のような体育教師になると心に決めていました。そこで、高校卒業後の進路として考えたのは、体育教師になる資格を取得できる日本体育大学です。
■「北島」のネーム入りブレザー
当時の日体大ラグビー部は屈指の強豪でしたし、ランニングラグビーを志向していたことも魅力的でした。高校時代の中野直監督が、日体大ラグビー部を率いていた綿井永寿先生の後輩だったこともあって話はトントン拍子で進み、学費免除の特待生として受け入れてくれることが決まりました。