「岡田メソッド」の本質は「考える力と状況判断力」にある
当時の取材ノートを引っ張り出してみた。
試合は日産(当時)の木村和司がドリブルでDF2人を抜いて鮮やかな先制点を決めた。
しかし、後半に90/91年シーズンのブンデスリーガ得点王ボールファルトに2ゴールを許して逆転負けを喫した。
岡田氏はというと、前半6分と27分に2度のバックパスをミスし、相手にボールを渡してしまった。現役の選手として衰えを感じたのかもしれないが、そのプレーが引退を決意することにつながった可能性は高いだろう。
現役引退後は古河電工やジェフ市原のコーチを務め、1995年に日本代表のコーチに就任。そして1997年10月、成績不振によって加茂周監督が更迭されたことに伴い、監督に就任して日本をワールドカップに導いた。その後の活躍はファン、サポーターならずとも詳しくご存じのはず。
そんな岡田氏が「代表の監督になって、どうしても越えられない壁があった」と振り返る。
それは「日本人に限らず、中国人も主体的にプレーできない。主体的に生きることが苦手」ということだった。