足をグリグリ踏んで笑った関根潤三さん…ギャオス内藤悼む
「関根さんには感謝の気持ちしかありません」
こう言って声を落とすのは、関根潤三氏のヤクルト監督時代の教え子であるギャオス内藤(内藤尚行)氏。1987年、関根氏が監督に就任した年に、豊川高(愛知)からドラフト3位で入団。プロ2年目に一軍に定着し、3年目には先発、リリーフでフル回転。41試合登板で12勝5敗8セーブを挙げた同氏が、恩師との思い出を振り返る。
◇ ◇ ◇
出会うべき人に出会えました。プロ入りから3年間、のびのびと野球をやらせてもらい、思う存分個性を発揮できたのは、関根さんが監督だったからこそです。
3年目のある試合でピンチを迎えた時、関根さんがマウンドにやってきて、「何をやっとるんだ」と笑いながら、足をグリグリと踏まれたことがあります。ピンチで緊張する僕をリラックスさせようという、関根さんなりの配慮だったのでしょう。痛かったですけど、肩の力が抜けて冷静になれましたし、その心遣いがうれしかった。高卒で入って間もない僕をどんどん使ってくれて、監督を務めた最後の年に活躍することができ、自分なりにも期待に応えられたかなと思います。
当時のヤクルトは広沢(克実)さん、池山(隆寛)さんたちがいて、(長嶋)一茂さんも88年に入団。
関根さんは僕ら選手に、「とにかく元気を出しなさい」「自分をどんどんアピールしなさい」と言っていた。僕は若手でしたし、明るいことが大好きだったので、ベンチで関根さんの目の前に座って、必死に大声を出したこともあります。先輩たちもそんな僕の姿を見てか、可愛がってくれるようになりました。