藤浪コロナ騒動でも露呈 小林繁は「殺されたようなもの」
1979年2月、小林繁が入団して初めての安芸キャンプ。右に広大な太平洋、左にタイガータウン。高知市の中心から安芸を結ぶ国道55号は小林繁見たさ、車に乗る万余のファンで来る日も来る日も長い渋滞が続いた。
そんなヒーローの3年目。甲子園球場で試合がある日の夕刻、日焼けした7、8人の男が声を上げた。
■「カネ払え!」
「小林、カネ払え!」「カネ払え!」「カネ払え!」
プラカードがこれも7、8本。電鉄本社の役員、職員、記者、カメラマンが出入りする8号門前で右に左に動いた。
大阪の北新地。東京の銀座と肩を並べるくらいの繁華の街の一角に小林繁は北海道の海の幸を売り物にする高級割烹を開店し、そのすぐ隣にはクラブも。実態は名義だけを利用されたこの両店の建築費が未払い。下請け、孫請けの連中がプラカードを手に訴えたのだ。
小林繁を取材すると「何を書いてくださってもいいですから」と腹をくくっている。暗にバックにニセ者のタニマチ、反社会の面々がいることをにおわせた。