JFKだけじゃない “リリーフ王国”阪神の伝統に隠れた光と影
また、07~12年にかけて6年連続40試合以上登板を果たした渡辺亮は個人的に大好きなリリーバーだった。上背がなく細身で、一見すると生真面目そうな風貌。球速も150キロ台を連発するような派手さはなかったが、ストレートの質が良く抜群の安定感を誇った。11年に記録した56試合登板で5勝1敗12H、防御率1・98の成績は、もっと評価されていいと思う。
■まるでプロレタリアート
こういう栄光なき名リリーバーなら、90年代の暗黒期にもっとも量産され、酷使された。中でも久保康生、弓長起浩、郭李建夫、伊藤敦規、古溝克之、葛西稔、遠山昭治あたりは代表的だ。彼らは毎年のようにフル回転していたが、チームが弱かったため、敗戦処理的な登板も多く、年俸も安かった。このへんが高給取りのJFKとの大きなちがいだろう。暗黒リリーバーたちはいくらフル回転しても注目されないものだから、薄給で酷使されているというブラックな事実すら世間に気づかれなかった。プロレタリアートみたいだ。
特に92年に51試合登板で防御率1・35、98年にリーグ最多の57試合登板で防御率1・69を記録した能面顔のリリーフ左腕・弓長はなんと不遇だったことか。実働年数は11年で、通算400試合登板はすべてリリーフ。タイトル獲得やオールスター出場といった勲章も一切なく、広報誌の月刊タイガースに登場することも少なかった。
ちなみに弓長は02年オフに戦力外通告を受け、そのままひっそりと引退。そして翌03年、阪神は18年ぶりのリーグ優勝を果たすのだった。