工藤章さん モントリオール銅から新宿にビル持つ実業家へ
そこで、ビル総合管理の実務を学び、84年に都内で「アメニティコーポレーション」を設立した。夫人と2人で起こした会社は当初、なかなか軌道に乗らなかったが、営業に励みクライアントを獲得した。その後は順調に業績を伸ばし、今では新宿に自社ビルを所有し、約400人の従業員を抱えるまでに成長した。
「我々の頃は世界選手権など自腹で海外遠征に出ました。五輪選手団の制服代10万円ですら徴収された。アマチュア規定が存在した昔とは違い、今の選手はテレビ番組やCMに出演したり、引退後もメダリストとして活躍ができている。ひと昔前より今の選手は恵まれています。長い人生でオリンピックに出場した選手は将来どんな困難があっても培った力で乗り越えられる底力を持っていると信じている」
▽1954年1月1日、岩手県宮古市生まれ。県立宮古高から専修大に進み、全日本選手権は2年生から4連覇。世界選手権は73年から3大会連続出場を果たし、74年のアジア大会ではフリースタイル48キロ級を制した。専修大レスリング部監督、総監督を務めた。