工藤章さん モントリオール銅から新宿にビル持つ実業家へ
当時の工藤氏は社会人1年目。専大卒業後に三信電気に入社。五輪が終わるまでレスリングに専念していた。モントリオールから帰国後は現役を引退し、しばらくは仕事に励んだのち、2年で同社を退社した。
「今と違って、当時はスポーツで食べていける時代ではなかった。大学卒業後も競技を続けるには自衛隊員や警察官、教員になるしか選択肢はありませんでした。大学時代からモントリオールに出場できたら引退しようと思っていました」
■スポーツ用品店を開業するも…
オリンピック出場を機にレスリングから離れた工藤氏。79年に生まれ故郷である岩手県宮古市にスポーツ用品店を開業し、第二の人生をスタートした。商売は順調で、母校の専大で体操着や運動靴の販売権も得た。大きなビジネスチャンスを掴んだことで、宮古市の店を畳んで上京。だが、「当時の学生から『強制や独占販売は認められない』と反対されて断念せざるを得ませんでした」。
商談が破棄され、食いぶちを失った工藤氏は盛岡市内でビル管理会社を経営していた同郷のレスリングの先輩を頼った。