64年東京五輪で最終聖火ランナー務めた坂井義則さんの最期
そして、こうも言った。
「驚いたのは、その後だね。トーチの火を消そうと水の入ったバケツに突っ込んでもなかなか消えない。つまり、開会式が雨天になったときを想定してトーチを作った。日本の技術者は凄いと思ったよね」
広島県三次市出身で早稲田大1年生の19歳。坂井が最終聖火ランナーに選ばれた大きな理由は、くしくも誕生日が広島に原爆が投下された45年8月6日だったからだ。
だが、決定まではメディアがスッパ抜き合戦をした。当時のスポーツ界は早稲田閥の日本陸連が主導権を握っていたため、陸連本部の金庫が破られ、幹部の自宅に盗聴器を仕掛ける事件も起きた。スクープしたのは朝日新聞。坂井は振り返り語った。
「6月のオリンピック代表陸上選手選考会の準決勝で敗退。やけくそで実家に帰っていたら朝日の記者が来て、ぼくを強引に汽車に乗せた。まずは大阪に行き、伊丹からセスナ機で羽田まで飛んだ。それからはもうホテルで拉致状態だったよね。国立競技場に連れて行かれて写真を撮られ、朝日が号外でスッパ抜いたんだが、NHKまでがニュースで『坂井君の行動はけしからん!』などと報道する。参ったよねえ」