レスリング太田章氏 五輪延期でもいまの選手が羨ましい

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太田 章(レスリングフリースタイル82キロ級)

 来年7月に延期された東京五輪。自宅待機を強いられ、調整もままならないアスリートは厳しい状況に立たされている。

 選手への同情の声は絶えないが「五輪に出場できなくなったわけではないので、今の選手がうらやましいですよ」と、太田氏。

 1980年4月の全日本選手権フリースタイル82キロ級を制して代表権を得た太田氏は当時、23歳。早大の5年生だった。モスクワにかけるため、卒論だけを残して、あえて留年を選んだ。ボイコットを伝えられたのは、東京・渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターでの300日合宿の最中だった。

■政府の対応に憤り

「当時は半信半疑でしたが、世間の風潮はボイコットに傾いていた。『これは危ないな』と思っていたときに、正式に不参加を伝えられて引導を突き付けられた感じだった」(太田氏)

 周囲からは慰めや励ましの声をかけられても、失望感は拭えなかった。酒に酔っても、すぐに現実に引き戻された。

 日本政府の対応にも納得がいかなかった。同様にボイコットを決めた米国ではジミー・カーター大統領が代表選手団をホワイトハウスに招待。大統領は慰労会を開いて一連の経緯を説明し、最後はジーンズメーカーの公式ウエアを着用した選手団と記念撮影にも応じた。対照的に日本ではボイコットを決めた大平正芳首相(当時)から総理官邸に招かれるどころか、事情説明すらなかった。

■「認定書はどこにしまったか」

「JОCから選手各自の要望を聞かれ、中には『五輪選手』と認められれば、就職に有利になるからと、(認定書の発行を)希望する人もいました。『幻のモスクワ五輪選手団』の名簿と、認定書、銀のバッジをもらいましたが、それでも納得できない選手は多かったと思います。代表の証しではありますが、今ではどこにしまったのかも忘れてしまいました」(太田氏)

■マットに立てなかった無念を晴らし2個の銀メダル

 翌年以降、うっぷんを晴らすかのように結果を残した。81年のアジア大会(パキスタン)優勝を皮切りに、83年世界選手権を制覇。90キロに階級を上げた84年ロサンゼルス五輪では、肋骨骨折の重傷を負いながら、重量級では日本勢で初のメダル獲得(銀)。ロス五輪を最後に指導者に転身したが、海外のライバルが世界で戦っていたのを目の当たりにして現役復帰した。31歳で臨んだ88年ソウル五輪でも銀メダルを獲得し、ピークを過ぎたという下馬評を覆した。

 早大の講師をしながら、現役続行を模索した。91年には勤続10年で得られる大学のサバティカル休暇制度を利用して、レスリングの強豪で知られるオクラホマ州立大学で練習を重ねた。3度目の五輪となる92年のバルセロナを目指すためだ。

「バルセロナは3回戦で負けましたが、そのころは五輪の魅力に取りつかれていました。レスリングには4大会連続で出場した選手はおらず、96年アトランタ五輪は誰にも真似できないことに挑戦しようという気持ちで挑みました。選考会では教え子に負けて夢は絶たれましたけどね。モスクワの悔しさがあったから、五輪に3度、出場できたのかもしれません。もし、モスクワのマットを踏んでいたら、五輪への情熱、執念は失せて現役を長く続けていなかったかも知れません」(太田氏)

 東京五輪の延期で来年、出場できない選手は少なからずいることだろう。太田氏のように不屈の精神で、24年パリ五輪を目指す選手はいるか。

▽おおた・あきら 1957年4月8日生まれ。秋田市出身。秋田商業高校から早大に進学し、80年の全日本選手権を制してモスクワ五輪代表に。国際大会は五輪3大会の他、世界選手権に4度出場した。現在は早大スポーツ科学部教授。

【連載】幻の五輪代表が語る 失われた夢舞台

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