KINGペレ80歳の誕生日に思うこと<上>
KINGと言えば、若いサッカーファンの多くはカズ=三浦知良(53)の顔を思い浮かべるだろう。
初めてカズを「キング」と命名したのは外国人記者で1993年アメリカW杯のアジア最終予選、いわゆる<ドーハの悲劇>での北朝鮮戦だったことは、本年9月の当コラムで紹介した。
しかし、世界的にKINGといえば「エドソン・アランテス・ド・ナシメント」=「ペレ」を指すことに異論を唱える者はいない。カズ自身も「キングと言えばペレ」と認めている。
そのKINGペレは、15歳でプロデビューしてサントス(ブラジル)とニューヨーク・コスモス(アメリカ)で1977年に引退するまで通算1363試合に出場し、1281得点を記録した。もちろん<1000点超え>は史上初の快挙であり、後年は元ブラジル代表FWロマーリオ、アルゼンチン代表FWメッシらが、1000ゴールを達成することになる。
W杯には17歳で1958年スウェーデン大会にデビュー。通算6ゴールを決めてブラジルの初優勝に貢献した。4年後の1962年チリ大会も連覇。1970年メキシコ大会で通算3度目の優勝を飾り、ジュール・リメ杯(当時のW杯優勝カップ)永久保持の原動力となった(3度優勝すると永久保持が規定で許された。4年後の1974年西ドイツ(当時)大会で新しいトロフィーとなり、こちらは持ち回り制となっている(現在は2代目が使用されている)。