野村監督1年目の開幕戦「捕手クビ」を招いた疑惑の本塁打
「アホか」
結局、延長十四回にサヨナラ負け。今なら中軸打者は甘い球なら3―0からでも打ってくるが当時はまず打ってこない。ストライクを取ることが最優先といわれた時代だ。
野村監督は守備重視の方針を打ち出していた。1カ月後には、ドラフト2位ルーキーの古田敦也がマスクをかぶるようになっていた。私は打撃力を買われていたそうだ。野村監督は新人捕手・古田には「打たなくても使い続けるぞ」と耳打ちし、私には「打撃に専念せえ。適材適所や」と言った。
そして5月、当時の丸山完二コーチにこう言われ、奈落の底へ突き落とされた。
「打者として生きた方がいい。外野にコンバートだ」
しかし、すぐには受け入れられず、何度かこの打診を突っぱねた。
小、中、高、大学と捕手一筋でやってきて優勝経験もある。捕手に愛着やこだわりがあった。試合をコントロールし、勝利した時の喜びは何物にも代え難かった。たとえ重労働でも、捕手としてプロで優勝したい、一旗揚げたい。そういう気持ちが強かった。30歳手前で外野手だと言われても、プロの世界はそんなに甘くない。その時は本職の外野手に勝つ自信も持てなかった。