“打撃の職人”山内一弘氏 大リーガーにも深夜まで熱血指導
4月8日付の日刊ゲンダイに西村徳文氏(元ロッテ監督)の記事が載っていた。西村氏が現役時代、ロッテや中日で監督を務めた評論家の故・山内一弘氏から自宅で打撃指導を受けていたという内容だ。
山内氏は現役時代、首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度に輝き、「打撃の職人」「シュート打ちの名人」と言われた強打者だ。“打撃コーチ”としての評価も高く、「4割打者は教えないが、3割打者は教える」がモットー。つまり、日米で首位打者9度のイチロー氏も、三冠王3度の落合博満氏も、山内氏からみれば「バッターとしてはまだまだ」というわけだ。
山内氏はいったん指導を始めたら止まらないため、当時のあだ名は「かっぱえびせん」。自軍の選手だけでなく、相手チームの選手を指導することも珍しくなかった。
その山内氏が中日の監督を務めていた春のキャンプ中のことだ。練習を終え、夕食を済ませた外国人選手のケン・モッカが部屋のベッドでくつろいでいると、マネジャーから「監督が呼んでいる。バットを持って練習部屋に来い」と声が掛かった。
モッカはすでにパジャマに着替えていたが、監督の命令なら仕方がない。宿舎の練習部屋に行くと山内監督が待っていた。
山内氏は昼間の練習でモッカのバッティングが気になった。その理由が夜になって分かり、呼び出したのだった。
相手が元大リーガーだろうと関係なし。手取り足取りの個人指導が深夜まで続いた。翌日、この時の練習について報道陣から聞かれたモッカはこう言って苦笑いしたという。
「これからはパジャマじゃなくてユニホームを着て寝るよ。いつ、監督から呼び出されるのか分からないから」
ちなみにモッカはその年のシーズン、打率3割1分6厘、本塁打31本、93打点のキャリアハイの数字を残した。
▽富岡二郎=スポーツジャーナリスト。1949年生まれ。東京都出身。雑誌記者を経て新聞社でスポーツ、特にプロ野球を担当。