フジガキのコンビネーションが合い始めたのは本番の1年前だった
バドミントンに限らず、ペアを組む競技はお互いの相性が重要です。
競技生活を振り返ると私は、パートナーに恵まれました。高校の後輩である令佳はひとりの人間として好きでした。昔から気が合って、現役時代にケンカしてペアを解消したとしても、引退後は仲良く付き合えると思っていました。
■「解散した方がいいのかな」
コート上で主導権を握っていたのは年上の私でした。私たちの目標はロンドン五輪出場で一致していたとはいえ、2人の性格の違いに随分と悩みました。私はメンタルが強い方で気持ちで引くことはなかった。一方、令佳は私よりも闘争心がありながら、1つのミスを引きずって3~5点を取られてしまうタイプでした。殻に閉じこもって自分で自分を追い詰めることも多かった。
私は2人で五輪を目指しているのだから、先輩、後輩関係なく、意見を出し合ってペアを築きたいと考えていました。「令佳と私の意見をすり合わせて、いい方向に向かおうよ」と口を酸っぱくして言ってきましたが、令佳の答えは決まって「先輩だから言いづらい」。
令佳のことはひとりの人間として大好きなので、ケンカしたくはありません。これ以上、衝突して関係が悪くなるのを避けたかったため、「解散した方がいいのかな?」と話したこともありました。
■監督にダブルス転向を直訴
2人で目指すと決めた以上、途中で投げ出すわけにはいきません。ロンドン五輪出場は使命だと位置付けていました。実はルネサスの今井彰宏監督(当時)からはダブルス転向を反対されていたのです。今井監督は私をロンドンはシングルス、リオはダブルスで出場させようという青写真を描いていたようですが、セカンドキャリアを考えれば私に残された時間は少ない。何よりも、2種目を並行して練習すれば、どちらも中途半端になるのが嫌でした。監督にはダブルスに専念させてくれるよう、頼み込んで納得してもらったのです。自らダブルスを志願しただけに、簡単に諦めるわけにはいきませんでした。
令佳とかみ合ってきたのはオリンピックレース(世界ランキングによる選考期間2011年5月2日~12年4月29日)が始まる頃だったと思います。ペア結成してから3年ぐらいかかりました。
もっとも、高校からペアを組んでいる選手が多い中、本格的にダブルスに取り組み、わずか3年で五輪まで出場するのはかなり珍しいケースです。私たちはお互いに技術が不足し、一人一人の力は0.8ずつしかないけど、フォローし合って2にしようと取り組んできたことが結果に結びついたと思います。
そして令佳同様、高校の同級生には、わたしにとってかけがえのない存在がいます。 =つづく