<8>鎌田大地が選んだ意外な進路「僕は人との巡り合いの運がすごく強い」
高2の秋に練習へ参加した際、当時のゴトビ監督が卓越したスキルとサッカーセンスを高く評価。「ぜひウチで取りたい」と言ったが、その指揮官が2014年7月に解任され、話は立ち消えになってしまった。
その後、古巣のガンバ大阪、セレッソ大阪にも練習へ参加したが、正式オファーに至らなかった。最終的に獲得意思を示してくれたのは、鳥栖だけだったという。
「サッカーに集中でき、自分を成長させられるクラブだ」という確信を本人も持っていた。
「大地から『鳥栖に行きたい』と聞かされた時、『いい選択だな』と率直に感じました。ガンバのユースに上がれなかった経験から『人間は一番良いところに落ち着くもんだ』という、いい意味での<悟り>が私の中にはありました。大地がそう決めたのなら真っすぐ進めばいいし、クラブの大小は関係ない。どこでやるにしても、試合に出て活躍することが大事ですからね。息子の決断を家族全員で喜びました」
こう語る幹雄さんは次男・大夢が20年に埼玉・昌平高からJ3福島入りした時も、まったく同じスタンスで向き合った。