劇的サヨナラ満塁弾をフイに…新庄君の「勝ったからいいじゃないですか」の一言に救われた
田中幸雄(元日本ハム選手、二軍監督)
田中氏には、今も胸のつかえとして残る“ボーンヘッド”がある。
メジャーから日本球界復帰を果たした新庄剛志監督(49)の日本ハム1年目。9月20日のダイエー戦だった。
3点差を追いついた九回裏、なおも2死満塁の絶好機で新庄が打席に立った。その初球。フルスイングした打球が左中間スタンドに飛び込む。
千両役者による起死回生の劇的なサヨナラ満塁本塁打ーーになるはずだった。
「そのとき、一塁走者だったボクは二塁ベースを回るところで打球がスタンドに飛び込むのを確認しました。それで、後ろから走ってくる新庄君に抱きついた。今思えば、新庄君は“ダメ、ダメ”とボクを制していたような気もしますが、興奮したこちらはお構いなしで……。抱きついたまま2人の体が入れ替わるように1回転したことで、打者走者が走者を追い抜いたことになってしまい、新庄君にアウト宣告。劇的な本塁打が取り消されて単打の扱いになってしまったのです。サヨナラ安打にはなって試合には勝ったものの、ボクのせいで新庄君の本塁打と3打点をフイにしてしまった。それが申し訳なくて、喜ぶナインの輪の中にも入れませんでした」
試合後、ロッカールームで新庄に「本当に申し訳ない」と謝った。
「なにを言っているんですか。いいんです、いいんです。勝ったからいいじゃないですか!」
4歳下の後輩選手にそう言われて救われたが、「あれが本音だったのか……。先輩のボクに気を使ってくれただけかもしれない。何度か他の選手を交えて食事に行ったこともありますが、そういうときでも新庄君は、目上の人間には本当に気を使ってくれる選手でしたから。それだけに本音はどうだったのかなあ、と今でも思っています」。
「ゴレンジャー」からの劇的弾
試合は、球界再編騒動に端を発した史上初のストライキが明けた直後。試合前には新庄の発案で自分も含めた5人の選手が「ゴレンジャー」のマスクをかぶってノックを受けるなど、渾身のパフォーマンスをしたうえでの“劇的弾”だった。
「そういう派手なパフォーマンスに注目が集まりましたが、やるからには野球で結果を出さなくてはいけないと誰よりも分かっていたのが新庄君でした。凡打でも絶対に一塁まで全力疾走。決して手を抜かなかった。だから、どんなことをやっても言っても、チーム内で信頼された。努力を人に見せませんでしたが、何度かボクも試合後のブルペンや室内練習場で新庄君がひとり、黙々とマシン打撃をしている姿を見たことがあります」
田中氏は日本ハム一筋22年、2000安打も達成した「ミスター・ファイターズ」。しかし、1997年に手術した右ヒジ痛に悩まされ、新庄が日本ハムに入団した2004年当時はベンチを温めることが増えた時期でもあった。
■特殊なストレッチ
「新庄君もヒジ痛を抱えていて、特殊なストレッチを教わったこともあります。それまで、指を伸ばした状態で右手首を甲側に曲げながらヒジを伸ばすストレッチをしていたのですが、新庄君は指を第2関節まで曲げた状態でストレッチをしていた。“この方がいいですよ”と勧められてその通りにやったら、悩まされていた痛みが軽減したのです。体のメンテナンスにも貪欲で、引き出しが多いと感心しました。新庄監督がどんな野球を見せてくれるのか、期待しかありません」
冷静、寡黙で知られたミスター・ファイターズの声も自然と弾んでいた。
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▽田中幸雄(たなか・ゆきお) 1967年、宮崎県生まれ。都城高から85年のドラフト3位で日本ハムに入団。2007年に引退するまで日本ハム一筋、2000安打も達成した「ミスター・ファイターズ」。一軍打撃コーチ、二軍監督などを歴任した。