「高校監督時にプロ入りを勧めたのは新庄一人だけ」西日本短大付高の元監督が明かす
新庄の現役時代の最大のウリは肩だった。
「投手や遊撃もやらせましたが、3年時には中堅の守備は一流の域に達していました。プロでも守備はやれると。後にも先にも高校監督時にプロ入りを勧めたのは新庄だけです。ただ、当初は送球のコントロールが身についていなかった。私自身、チームプレーを重視し、守備では走者の進塁を防ぐことを大事にしていたこともあり、新庄には中継のカットマンを目がけて投げるように指示したりしました。そうすることで、より正確な送球ができるようになるという狙いもありましたね。プロでゴールデン・グラブ賞を何度も取るようになったのは、本人の努力のたまものでしょう」
■新庄は周りに「野球部じゃなく、陸上部に入っちゃった」と
当時の浜崎氏は、あえて選手に厳しく接していたという。
「就任当初は選手たちが『監督はおっかない人だ』という印象を持って練習するよう、自分自身で計算しながら接していたんです。社会人から高校生へ変わり、まずは自分のやりたい野球を、と思っていましたから。就任して3、4年経ってからは選手たちに冗談を言ったりもしましたけど、当時、言葉をかわすのは主将とマネジャーくらい。新庄ともフランクに話すことはなかった。いつも、蚊の鳴くような声で『ハイ』としか言わなかったですね(笑い)」