小林陵侑は北京金メダルの最右翼だが…五輪イヤー「ジャンプ週間王者」に不吉なジンクス
同年のジャンプ週間と五輪の2大会を制したのは、1998年長野五輪で船木和喜がラージヒル(LH)で優勝して以降、14年ソチ五輪まで4大会連続でジンクスに阻まれた。前回18年の平昌五輪で当時、無敵を誇っていたカミル・ストッフ(ポーランド)が打破したとはいえ、金メダルを手にしたのはLHだけで、ノーマルヒル(NH)は4位と表彰台にすら届かなかった。
ジャンプは風向きや降雪などの気象条件によって、結果が大きく左右される競技だ。過去のジャンプ週間王者が五輪本番で条件に恵まれなかった可能性もあるが、最大の原因はピーキングの失敗といわれる。
本場欧州のジャンパーの多くは、五輪の約1カ月前に行われるジャンプ週間に照準を絞って調整するのが一般的だ。
約1週間でドイツ、オーストリアの2カ国計4会場を転戦するため、移動の負担もあって、その後の調整が難しい。五輪本番に間に合わず、多くの欧州勢が壁に阻まれてきた。
五輪イヤーではないものの、小林も前回のジャンプ週間を制した後に失速した。このシーズンの小林は最終的に日本人初のW杯個人総合優勝を果たすが、1月から2月にかけてのW杯12戦では3大会連続で表彰台を逃すなど調子が上がらず、3度の優勝にとどまった。