1982年日本S第5戦の罪深き「石ころ事件」…先制打のはずが平野の打球が塁審の足に当たり
ルールでは内野手の後ろにいる審判にボールが当たった場合はインプレーとなるが、抜けていれば確実に先制点が入っていた打球である。近藤貞雄監督(中日)は抗議をしようにも、相手が審判だけにどうしようもなかった。
その後、中日は五回に大島康徳さんのソロ本塁打で先制したものの、六回以降は追加点を挙げられず、1-3と逆転負け。試合後、村田審判は「石ころに当たったのと同様のインプレー」と話し、審判に当たればインプレーという認識が広まった。その後、「石ころ事件」として球界に認識されることになる。
あの時は「何で当たるんだ」と審判を恨んだが、思えば最初から後手に回っていた。シーズン終了からあまり時間がなく、西武の研究、データを頭に入れる時間が足りなかった。投手陣の疲労も完全に取り切れていなかった。コントロールを気にしすぎた投手陣は腕が振れず、よそ行きの投球だったことが、捕手として気になっていた。
本拠地・ナゴヤ球場で2連敗スタート。しかし、敵地・西武球場で2連勝してタイに戻し、勢いがついてきたところで遭遇した「石ころ事件」。これで完全に流れが止まってしまった。