選手に手を上げクビ覚悟の台湾球団で急きょ監督に…翌年も留任のはずがチーム消滅
台湾の三商タイガースで総合コーチを務めていた1999年6月。私はサインを無視する選手に手を上げてしまい、それを球団代表に目撃された。
「中尾さん、1週間前に選手を殴りましたね?」
「はい。すみません……」
一応、事情を説明した。
「分かりました。今の監督が50試合の時点で勝率が5割に届いていなかったら、契約を解除することになっています。だから中尾さん、監督をやってくれませんか?」
50試合の時点で勝率は5割に達していなかったが、私がクビになると思っていたので混乱した。
「なぜですか?」
「確かに見ましたが、今までこんなに熱い人はいませんでした。このチームには熱さが必要です」
「そういう事情なら、ぜひやらせてください」
台湾人は好き嫌いが激しい。「言うことを聞けばうまくなれる」と思えば従うし、「この人は合わない」となると、全く聞く耳を持たない。その選手とは通訳を通じて話し合い、以降は人が変わったように素直になった。台湾プロ野球は96年に選手監禁事件、97年に八百長選手逮捕などが起きた後で、闇は残っていた。ある台湾人選手がこう語っていた。