台湾プロ野球からキャンプ臨時コーチのオファー 終了後も「このまま残って」と
西武の二軍バッテリーコーチを退任した1998年、来年はどうしようかと思い、中日時代の投手コーチで、当時の横浜・権藤博監督に連絡をすると、「来年のコーチはもう決まっちゃったよ」との答え。すると、しばらく経ってから権藤さんの知り合いだという球界関係者から電話があった。
「台湾の三商タイガースという球団で春のキャンプの臨時バッテリーコーチの仕事があります。行く気はありますか?」
面白そうなので数日後、「行きます」と返した。
通訳とマネジャーが台北の空港に迎えに来てくれた。国内線に乗り継いで向かったキャンプ地の台東では、ささやかな歓迎会を開いてくれた。ただ、私は酒が飲めない。台湾茶をがぶ飲みしたら眠れなくなった。一睡もしないで翌日の練習に参加した。当初はバッテリーコーチだったが、キャンプ中に監督からこう言われた。
「バッテリーのことだけじゃなくて、打撃のこと、守備のこと、なんでもいいから中尾さんが知っていること全部教えて」
キャンプが終了した時点で帰国する予定だったものの、球団代表から「このままシーズンもコーチとして残ってください」と延長を打診され、迷うことなく承諾した。キャンプが終わって台北に戻り、開幕までの練習期間はホテル暮らし。開幕後には球団が2DKのマンションを探してくれた。単身赴任だったが、当時は私の子供が小さかったこともあり、春休みや夏休みに来られるよう、大きめのマンションで家賃は球団が持ってくれた。