近鉄時代のブライアントは三振が嫌でセーフティーバントを試みた
外国人選手が持っていたバットを自分の太ももにたたき付け、バキッと真っ二つにするシーンを目にする。
自分の打撃に納得がいかず、怒りをバットにぶつけているのだ。打ち損じたバットは折れかかっているからこそ真っ二つになるわけで、フツーのバットを太ももで折ろうと思ったらバットより太ももが悲鳴を上げるだろう。
ところが、怒りに任せて、折れていないバットを太ももで真っ二つにしてしまう選手がいた。近鉄でプレーした「エディ」ことラルフ・ブライアントだ。
もっとも、彼の場合は打ち損じではない。空振り三振だから、バットは折れようがない。三振を繰り返す自分に腹を立てて、持っていたバットを折ってしまうのだ。グリップが細いバットだったとはいえ、痛くないはずがないから、よほど腹にすえかねたのだろう。
ことほどさように、エディは三振にナーバスだった。
「10.19」の翌1989年は49本塁打でタイトルを獲得しながらリーグ最多の187三振。あれはリーグタイ記録の22試合連続三振を喫したころだったように思う。あまりにも三振に神経質になっていたことを危惧した仰木監督が、ロッテ戦でスタメンから外したことがあった。しかし、リリーフで仁科時成さんが投げてくると代打で起用した。