権藤監督から怒られると思ったら「よくストライクを投げ続けた」と褒められた
近鉄時代、ともにローテーションを守った山崎慎太郎はシュートが武器の投手だった。打者の内角を厳しく攻めたがゆえに押し出し死球になったときも、当時、投手コーチだった権藤さんからインコースはもっと丁寧に投げろなどと言われているのを聞いたことがなかった。
98年の開幕直前、権藤監督は試合球を1ダース持ってきて、我々ベンチ入りする投手12人全員にひとつずつ配った。そこにはペンで「KILL OR BE KILLED GON」と書かれていた。殺るか、殺られるか。勝負しろ、決して逃げるなという意味だろう。
若手投手がよく、ゼロに抑えられてよかったとコメントしている。けれども、大切なのは勝負したかどうか。勝負して打たれたのは、勝負に負けたのだから仕方がない。次はどうやったら勝てるか考えればいい。そうじゃなしに、逃げ回ってボール球を振ってもらった結果、ゼロに抑えられたというのでは次につながらない。
権藤監督はこういう投球をしておけば使い続けてくれるというのが、自分の中である程度、分かってきた。松井をはじめとする巨人の中軸は、簡単に抑えられないからこそ抑えたい。抑えたいのだけれど、全力で勝負にいった結果、打たれたのだ。自分はこういう勝負がしたかったから、ここにいる。そして打たれたにもかかわらず、権藤さんがそれでいいんだという趣旨のことを言ってくれたおかげで、気持ちは吹っ切れた。 (つづく)