第1回大会から何度も関所を跨ぎかけた理由は「地域差でなく階級差」
角館高校野球史によれば、1949年、同校で合宿中の立大野球部と法大の試合が行われている。法大のエースは、東京六大学で人気の関根潤三である。関根はかつてこう言っていた。
「東北にはお世話になりました。夏は必ず東北遠征。理由? お米だよ。助かったなあ」
法大を招いたのは宮城・石巻の毛利理惣治だ。毛利は函館オーシャンに次ぐ日和倶楽部をつくり、戦後の第1回全国高校選手権に息子をエースに仕立てた石巻高の監督として甲子園に出ている。官立中心だった東北の中学球界──異色の存在が仙台育英の宿敵、東北中学である。=つづく