仙台育英 東北勢初の甲子園制覇の裏…武田利秋が導いた「ええべ根性」からの脱却と大谷効果
東北弁で「嫌だ」を「やんだ」と言う。「雨がやんだらお別れなのね」という流行歌に「雨が嫌ならお別れね」と謎の設定が錯綜した昔を思い出した──仙台育英が東北勢として初めて甲子園を制覇。試合後のインタビューで、選手の受け答えがしっかり、はっきりしているのに驚いた。かつてこうではなかった。
学制改革で全国中等学校優勝野球大会が全国高等学校野球選手権大会となった1948年、組み合わせ抽選で宮城・石巻が1番クジを引いた。1番の主将が選手宣誓するのだが、予行演習で「出場選手宣誓」と切り出すと、どっと笑いが起きた。どうしても「スツゾウスンス」となまり、笑われ、緊張して言葉が続かず、初めて宣誓文を読む措置が取られた。石巻はいきなり3点を奪われ敗れた。
今回、仙台育英の決勝進出は東北勢としては10度目だった。いまや新幹線で東京-仙台間は1時間半。関所もないのに、春も夏も、優勝旗は白河以北に届かなかった。見えない壁があったのだ。竹田利秋(現国学院大学総監督)の顔が浮かぶ。
竹田は和歌山出身だ。国学院大を出て郷里に帰るつもりが、東北高校の監督だった先輩に呼ばれて仙台に行ったのが運のつき。コーチとして残ることになり、65年から30年、悪戦苦闘した。郷里で見たこともない雪に覆われたグラウンド。一人でガソリンをまいて焼く姿を、みんな土手から見ていた。春夏合わせて17回、甲子園に出場し、こんなことを口にしていた。