2023年シーズン開幕戦の始球式はランディ・バースが…虎フロントと35年目の和解
85年バックスクリーン3連発の隠れた収穫
ちなみに、騒動真っただ中の6月下旬、筆者は名古屋遠征中の宿舎から駅まで、徒歩で帰阪する古谷代表を直撃。憔悴しきった表情で「疲れました。もうしんどいですわ」と、声を絞り出していた。後日、最前線で問題処理にあたっていた球団幹部に「電鉄本社へ提出するバース問題のリポートが突っ返され続けてな。『これじゃあ、わけが分からん』と。実直で優しい人だったから心労は相当なものだった」と耳打ちされ、「悲劇の真相」と報じたことを覚えている。
そんな因縁があるバース氏を球団が晴れの開幕セレモニーに招待……。当時の事情に詳しいフロントOBは「もうええんちゃう。恨みを抱く人間も今はいないし。代理人が間に入り、バースだけが悪かったわけじゃない。時代も変わったということよ」と“時効”を強調した。
1月にエキスパート表彰で野球殿堂入りを果たしたバース氏の実績は、今さら説明するまでもない。中でも最もインパクトの強い活躍は、やはり1985年。掛布雅之氏、岡田監督と最強のクリーンアップを形成し、21年ぶりのリーグ優勝、球団初の日本一を勝ち取る原動力となったことだろう。
その歓喜のシーズンを象徴するのが、甲子園バックスクリーン3連発だ。
開幕4戦目の巨人戦。1-3で迎えた七回裏2死一、二塁で槙原寛己からバースが逆転3ラン。さらに掛布、岡田も叩き込んで逆転し、結局このカード3タテと宿敵を粉砕。中堅手のウォーレン・クロマティが、ネット裏記者席に1イニング3度も背番号49を見せたことが心地よかった。
この痛快劇について岡田監督は後年、こう述懐している。
「あの時、チームにとって大きかったのはバースの一発よ。スロースターターがいきなり打った。今年のバースは違う。これで今シーズンはイケるでと、みんな言うとったな」
入団1年目の83年は19試合目でやっと1号。2年目も19試合で3発とエンジンのかかりが遅いタイプだったバース氏。だが、この年は19試合で10発と好発進すると、球宴までの前半戦で29発。最終的に54発と打ちまくった。岡田監督らはこの三冠王を獲得するバース氏の大噴火を開幕4試合目に直感。3連発の隠れた収穫だった。
そんな最強助っ人を陰で支えていたのも岡田監督だ。球場ロッカールームでの将棋。バース氏はこの日本の盤上ゲームに興味を持ち、上級者の岡田監督や川藤幸三氏らの対局を観戦して習得。岡田監督も戦術などを教え、バース氏と虎ナインの交流を後押しした。
「将棋を覚えて早くチームに溶け込もうと一生懸命だったよな、バースは」
球友との久しぶりの再会。あれやこれやと、思い出話に花を咲かせるに違いない。
(スポーツライター・長浜喜一)