岡田監督“タテジマ愛”のルーツ 整形外科医がストップかけた禁断の1000本素振り
阪神の聖地で今年も球児たちが感動のドラマを届けてくれたが、岡田監督も高校時代に甲子園の土を踏んでいる。1973年の夏の大会。1年生ながら大阪の私学7強の一角、名門・北陽の左翼レギュラーを奪い、打順は2番、7番で起用された。
岡田監督は「大阪で勝つのは大変やったわ。強いとこばっかりでなぁ」と振り返るが、現在も会食やゴルフなどで親交の深い2学年上の先輩は、入部したての頃の岡田監督についてこう証言する。
「とにかく打球の飛距離がケタ違い。ミートもうまいけど、スイングスピードがむちゃくちゃ速くてな。ごっつい1年坊がやってきたと思うたよ」
ほめられる話になると、岡田監督はいつも子どものように相好を崩す。そして教えてくれた。
「あのな。それには理由があるんや。オレは中学生の頃、1日に合計で1000本の素振りをしとった。1000本やで」
さらに続ける。
「整形外科の医者に聞いてみい。その時期は骨がどんどん成長して、大人の骨格を作る大事な時期。『そんなムチャをしていたらガタガタになるぞ』と言われたもんよ」