岡田監督“タテジマ愛”のルーツ 整形外科医がストップかけた禁断の1000本素振り
さっそく恩師の愛情あふれるメッセージを届けた。入団11年目、33歳のシーズンを迎えていた。
「そうか。誰かに聞いたんやろなぁ。わかっとるよ。おとなしく飲むわ」
それから阪神で4年、オリックスで2年。岡田監督は38歳まで現役を続けた。
■ハンパない母校愛
強烈なタテジマ愛を抱く岡田監督は、母校愛もハンパではない。2008年に学校法人が変わり、校名が「関西大学北陽」になった時には「正直言って相当な違和感があるわな。やっぱり『北陽』の校名に愛着があるもんな」とポツリ。
それでも13年には関大北陽の同窓会会長に就任。野球部のOB会長ではない。学校全体の会長だ。バトンを渡した前会長は「岡田さんは本当に母校を愛し、母校との出会いを大事にする。北陽魂を引き継ぐ人物にふさわしいお方だ」と言った。
だが、再び監督としてタテジマを着る立場になり、多忙で迷惑をかけるからと会長を辞任。10年間務めた最後の仕事は、2月に発刊された会報誌「北陽同窓」への寄稿。岡田監督は万感の思いを込めてこうつづった。
「チーム関大北陽の一員として『アレ』を目指します。新しい一歩を踏み出すため、ともに頑張りましょう」──。
(スポーツライター・長浜喜一)