山梨学院高校・吉田洸二監督を直撃! 苦節10年でセンバツV、春夏連覇への意外な思い
週刊誌の「体罰報道」は事実無根と否定
──清峰から13年に山梨学院へ移った経緯は?
「06年のセンバツ準決勝で清峰がPL学園(大阪)に6-0で勝利した日の夜。宿舎の自動販売機でジュースを買っていたら電話がかかってきた。それが山梨学院の関係者で、この日のことは鮮明に覚えています」
──どう言われた?
「今すぐとは言わないけど、近いうちに母校(吉田監督は山梨学院大出身)の付属高校で監督をしてくれないか? と」
──就任は7年後の13年。その間は?
「その時からいずれは山梨に移って勝負したいと思っていました。山梨学院の修学旅行が長崎だった関係で、そのたびに副校長と会って構想を聞きました。『甲子園に出るだけじゃなくて全国優勝させて欲しい』と言われました。ただ、その後の09年に清峰で全国制覇したこともあって、かえって清峰の次の監督が見つかりにくい状況になってしまった。やっと後任が決まったことで13年4月に就任できました」
──そこからとんとん拍子?
「すでに甲子園には出たことがあって山梨では強かったのですが、最初に大失敗したんです」
──大失敗?
「長崎から裸一貫で山梨へ向かいました。でも、私に求められるのは、甲子園出場じゃなくて優勝。長崎からツテのある有望な中学生に受験してもらって、一緒に何人も山梨に連れて行くくらいの周到な準備が必要でした」
──そこまでする必要が?
「私学の監督になるなら、普通はそこまでします。正直、当時の清峰と比べて、チーム力がだいぶ落ちる印象でした。しかも就任会見で『5年で甲子園常連校、10年で優勝します』と大口を叩いてしまい、後に大後悔しました。本当に無知って怖い。長崎の田舎教師が関東の高校へ行って、すぐに強くなるだろうと、ナメていました。有望な中学生の勧誘に行っても、なかなか来てくれませんでしたから」
──清峰で全国制覇をした監督が就任しても?
「中学生を勧誘に行くと、関東は九州より高校とのつながりを大事にするチームが多いのが意外でした。『いくら吉田さんでも、ポッと来てウチの選手を預けるわけにはいきません』と断られ、甘かったと思いました。私は甲子園で優勝、準優勝をしているので、誘えば来てくれるというおごりがありました」
──ところで、4月6日発売の週刊誌に「監督の息子が暴言・体罰証言」という記事が出ました。
「記事は事実無根です。生徒たちと一緒に夏も甲子園で終われるように頑張ります。それと、この優勝は、かつて横浜高校の部長として名参謀として名をはせた小倉(清一郎)さん(78)との出会いが大きかった」