元スピードスケート大菅小百合さん 小平奈緒に日本記録を抜かれた時は「ああ、やっぱり」
「2位なのに代表?」の声でスイッチが入った
02年、釜山アジア大会の500メートルタイムトライアルで銀メダルに。実はその前に、選考会の全日本の大会で2位だったのに、代表に選ばれたんですよ。その時「2位なのにアジア大会に出るの?」という周りの声が聞こえ、「自転車レースで勝ってやる!」とスイッチが入りました。
そこから自転車のための本格的なトレーニングに、完全に切り替えました。アテネ五輪に出られたのはこの周りの声でスイッチが入った瞬間があったから。
マンツーマンで教えてくれたコーチが福島にいらっしゃったので、当時長野に住んでいた私は自転車を車に積んで行き、何日間か合宿して帰る繰り返しでした。
アジア大会2位で私の中に「負けたくない」「もっと速く走りたい」という気持ちが膨らみ、それがアテネにつながりました。
女子500メートルトライアルなのはスケートと同じでしたし、五輪の雰囲気を1度味わっていたので冷静にレースに臨めました。スタート直前の瞬間、周りがよく見えたのを覚えています。その程度の余裕はありました(10位)。
その2年後は再びスケートでトリノ五輪に。スタートの瞬間は全く緊張しませんでしたね。ミスすることなく、その時点で持っているパフォーマンスは出せたと思います(8位)。
メダルを目指していたので目標達成とはいかなかったですが、種目は違えど12位、10位、8位と2年ごと2位ずつ上がっていけたのはよかったと思っています。2年に1度のペースで五輪を経験できたのも大きい。
09年、私が持っていた日本記録を小平奈緒選手に抜かれた日は小平選手の調子がよさそうに見えましたから、「抜かれるだろうな」と思っていました。抜かれた瞬間は「ああ、やっぱり抜かれた」とあっさりと思って(笑)。あまり意識してはいなかったです。私は妹とチームも一緒でしたし、私が自転車をやっていた時期以外はいつも姉妹で練習していました。リラックスできましたし、妹の存在も心強かったですよね。
■失敗は悪いことじゃない
11年に現役引退してからはスケート教室で小学生の子供たちを教える機会があります。今、娘が小学校1年ですが、私より早い3歳になる前からスケートデビューをしてるんですよ。将来スケートをやるかはわかりませんが、スポーツに携わってほしいとは思います。今は娘の成長を見るのが楽しみ。
私も失敗して辞めたいと思った瞬間がありましたけど、失敗があったから自転車やいろんなことにチャレンジできた。スケートを目指す若い人には「失敗することは悪いことじゃない」と伝えたいですね。 (聞き手=松野大介)
▽大菅小百合(おおすが・さゆり) 1980年10月、北海道出身。五輪出場の他に2003年世界自転車選手権B大会で金、07年世界距離別スピードスケート選手権で銅など。現在、スケートの指導やタレント活動も。