人間性やスタンスが如実に表れたMLB挑戦時の「西海岸かつ小規模都市」へのこだわり
そんな人間性やスタンスは進路選びにも影響した。
一関シニアは大谷がいた当時、全国大会にも出ていない。中学時代から有名だった菊池雄星には関東を含め、多くの野球強豪校から声がかかったものの、大谷に対しては4校ほどだった。その中には関東の学校もあったらしいが、父親の徹さんは都会の学校だと埋もれてしまうかもしれないと危惧した。関東の学校でなく地元の花巻東を選んだ大谷もあるいは、父親の影響を受けたのかもしれない。
日本ハム入りはドラフトで自分の意思は関係ないとはいえ、メジャー挑戦する際の球団選びが象徴的だった。
ポスティングシステムで米球界入りした17年オフ、多くの球団が獲得に名乗りを上げた。ヤンキースもその中のひとつ。キャッシュマンGMは当初、獲得に自信をもっていたが、2次選考の面談にすら進めずソデにされた。その際、「我々がビッグマーケットをもっていて、東部にあることは変えられない。この街やファンには誇りをもっている」とコメントした。それなら、どうぞ西海岸の小規模都市でプレーしてくださいと言わんばかりの“捨てゼリフ”だった。