体操・杉原愛子「実は、東京五輪で引退するつもりだったんです」
五輪切符を狙うライバルたちは日夜練習に励んでいる。当然、焦りが募った。振り返るとこの期間が人生最大の挫折だったという。
しかし、しっかり治さないと同じことの繰り返しになる。不安を押し殺して目の前のことだけに専念した。結果、通常なら半年かかると言われていたリハビリを3カ月でクリア。翌21年5月のNHK杯で五輪切符を手に入れた。
「実は東京五輪を最後に引退するつもりだったんです」
メダルまでわずか0.816点差の団体5位で終えた東京五輪では、選手村はもちろん試合会場まで徹底的なバブル体制が敷かれ、無観客開催となったのは記憶に新しい。
体操競技は会場内の各場所で選手たちが同時進行で演技するため、あちらこちらから拍手や手拍子が聞こえてくる。ところが、東京五輪は一切の静寂の中で淡々と進行する特異な大会となった。
「開催してもらっただけでも感謝の気持ちでいっぱいでしたが……。お祭り騒ぎだったリオ五輪と比べると、その差をより明確に感じました。私は応援してもらう中で演技するのが好きだし、力を発揮できる。あの時間と空間に特別な思い入れがありました。また、これまで支えてくださった方々に最高の演技を見せて、恩返しをしたい気持ちも強かった。にもかかわらずファンの方々やスポンサーさん、両親にすらも最後の場を見てもらうことができない。本当にそれでいいのか、このまま引退したら絶対後悔する、と」
東京五輪直後の21年10月に左ひざにメスを入れたため、紆余曲折の末、翌年6月の全日本種目別選手権(ゆか)を集大成の場に定めた。(つづく)