「28年間で素材は一番」 清原以上の大砲候補を和歌山の小さな分校で見つけた
「28年間のスカウト人生で素材は一番。高校1年時の夏の大会でたまたま目についたショートがいた。リストは強いし、パワーもある。肩も強い。体も大きくて185センチくらいあった。足も50メートル6秒を切る。こりゃ、3年になったらすごく良くなるぞ、と思って見てました」
鈴木がこう振り返るのは、1988年ドラフトで3位指名した垣内哲也(現・台湾・富邦ガーディアンズ打撃コーチ)。分校出身者初のプロ野球選手である。
この逸材は和歌山の山あいにある小さな学校に通っていた。日高高校中津分校。1年時はたまたま目についたが、2年になって一回り成長した姿に再び目を奪われた。3年になって遊撃から捕手に転向し、いよいよあふれんばかりの才能がはじけようとしていた。「いい選手はどのポジションでもやれる」というのが鈴木の持論である。
「垣内が高校生の頃は、車を使ったスカウト活動が禁止で、電車に乗って中津分校に練習を見に行きました。大阪駅に出て、御坊駅まで特急で約2時間、そこからさらにバスに揺られて1時間弱。まあ、遠かったですけどね(笑)。当時の監督も垣内さんという名前で、すごく良くしてもらった。忘年会をやるからと、奥さんの実家がやってる南紀白浜温泉のホテルに呼んでくれました」