清原、潮崎、長見、玉野、炭谷…それぞれ思い入れのあるドラフト1位指名余話
鈴木はスカウト時代、5人のドラフト1位を担当した。
最初が1985年の清原和博。野茂英雄(新日鉄堺)が史上最多の8球団競合となった89年には、潮崎哲也(松下電器)を単独指名した。
鈴木は高校時代の野茂を熱心に追いかけた。社会人に進んだ後もチェックをしていたが、その年は同じく担当していた潮崎の1位指名が早々と決まった。
翌90年は兵庫の県立伊丹西高から、189センチの長身右腕・長見賢司を指名した。
最速146キロのストレートが魅力で、走っても50メートル6秒台前半。当時のスポーツ紙によれば、甲子園出場はなく中央では無名ながら、12球団が学校に指名挨拶に訪れたという。
「高校生ナンバーワン投手として評価しました。将来性は抜群でした」
しかし投手としては二軍での3勝にとどまり、5年目に野手に転向。97年1月にデニー友利との交換トレードで横浜へ。同年プロ初安打を記録するも、2000年限りで引退した。鈴木はその年、5位で中島裕之(兵庫・伊丹北)を指名。長見が伊丹西の在学時に監督だった後藤監督に挨拶するため、伊丹北を訪れた際、偶然にも再会した。