メジャー史上最高の遊撃手オジー・スミスは自ら出した《職 求む》の新聞広告で「オズの魔法使い」になった
「職 求む」
それを見て反応したのが「守れる遊撃手」を探していたカージナルスだった。交換要員はギャリー・テンプルトンという走攻守の三拍子が揃った遊撃手。79年にリーグ最多の211安打、それも史上初の左右両打席100安打を記録したスターだったが、ファンに暴言を吐いて出場停止処分を受けるなどのトラブルメーカーで、渡りに船と厄介払いに成功した。
スミスは移籍したシーズンにワールドシリーズに出場して優勝。87年には打率3割をマーク、大谷翔平で広く知られるようになったシルバースラッガー賞(遊撃手)に選ばれるなど打撃力も上昇し、88年には大リーグ最高年俸選手となった。
通算2460安打、580盗塁。遊撃手として歴代最多の13年連続でゴールドグラブ賞を受賞したスミスの「背番号1」は、引退後すぐにカージナルスの永久欠番になった。2002年には資格1年目で殿堂入り。安価な新聞掲載料が大化けし、まさに魔法使いのような大出世を果たした米国人のアメリカンドリームだった。
(菅谷齊/東京プロ野球記者OBクラブ会長)