マスターズ中継またも“ポロリ”で再脚光…TBS名物実況アナが語っていた伝説の「もらい泣き中継」の舞台裏
──1976年からマスターズを中継するTBSにとっても特別な大会。
メイン実況を担当することになったときにはもう、めちゃくちゃプレッシャーを感じました。先輩の松下賢次さんには「選手の人生を語らないとダメだ」と教えられ、4月のマスターズに備えて前年の夏過ぎからコツコツと資料の準備をする林正浩さんの姿を見てきました。私も1年がかりで準備をします。A4の分厚いノートに松山選手のデータや情報、実況で使えそうなフレーズなどもメモしたり。そのノートを2冊ガムテープで貼ったものがあって、そのほかに出場選手の情報やデータをまとめたB5サイズのファイルがこれも2冊。いざ、実況が始まると資料を見ている余裕がないので、頭に叩き込むという感じです。
──3日目に松山は1イーグル、5バーディーの7アンダーと爆発。前日から優勝用のフレーズは用意していた。
していました。毎年、優勝したらこう言おう、こんなフレーズはどうだろうとノートにしたためていますが、いざその時が来たら、一切、口から出てきませんでした。