食道楽を目指せ! 編
「食のベストエッセイ集」小泉武夫著
タケノコご飯、初鰹……この季節は自然のエネルギーを充填してくれるような、生命力に満ちた食べ物がいっぱいだ。そこで、食べる楽しみを増幅してくれる、食い道楽の先達の本を紹介しよう。
「食のベストエッセイ集」は農学博士の小泉武夫氏が新聞や雑誌に発表したエッセーを収録した本だ。この小泉氏、実に血筋正しい食い道楽である。
造り酒屋に生まれた父は、中国・雲南省に出征したとき、実家から種もみと丸大豆を送らせて現地の農民につくり方を教え、戦いなどせずに白米と納豆の食事を楽しんでいたのだ。母は息子相手に家庭で〈綴り方教室〉を実践し、夕食がサンマだと、「私は炙られたサンマである」という作文を書かせた。
そんな両親の薫陶を受けた小泉氏はグルメであるのはもちろん、食に関する蘊蓄も実に深い。
例えば〈初鰹〉。江戸っ子としては何としても食べたいが、あまりに高い。そこで、庶民は隣の住人と片身ずつ買おうと考えるが、自分で頼むのはいやだから売りに来た魚屋に聞いてもらう。「鰹うりとなりへ片身聞に行」。一方、魚屋の方も生きのいいうちに売らなければならないから、どんどん値を下げる。「今くへばよしと魚屋置いてゆき」。だが、安くなったからといって鮮度の落ちたものを生で食べるとあたる。その結果、「はずかしさ医者へ鰹の値が知れる」。江戸っ子の見えと懐具合の葛藤を江戸の川柳で分かりやすく説明してくれる。
小泉氏はカニクイザルとあだ名されるくらいカニ好きで、その食べ方がすさまじい。カニの脚や甲羅、ハサミなどについている鋭いトゲなど頓着せずむしゃぶりつくため、唇の内や外、舌の先端、上顎の内側も血だらけ。
傷の具合を確かめようと真っ白いおしぼりを当ててみたら、まっ赤な血が点々と模様を描いている。それを「真っ白い雪の上にパラパラと落ちたまっ赤な南天の実」に見立てて「ロマンティックな心情」になったり「センチメンタルな気分」になったというから筋金入りである。
かといって美食ばかりを取り上げているわけではない。子どものころから缶詰好きだった小泉氏は、東日本大震災のとき、羽田空港で帰宅難民となり、そこで配られた〈非常食セット〉の中にイワシの缶詰を見つけ、思わず接吻! そして、口の中で噛まれてつぶれたイワシの身から「とても濃厚なうまみと脂肪からのペナペナとしたコクとが湧き出てきて」小泉氏を感嘆させたのだった。
読んでいると思わずよだれが垂れそうになる一冊。(IDP出版 1500円+税)
「すし、うなぎ、てんぷら」 林修著
「今でしょ!」のCMで有名な著者は名古屋生まれで、関西風のうなぎがうまいと思っていたが、学生時代に背伸びをして東京の下町の老舗に行った。先客の老人にならって、うな丼の前に〈うざく〉と〈うまき〉を頼んだ。うまい! 「うなぎとはこうやって食べるものなのか」
また、著者が通う寿司屋の職人は仕事がきめ細かい。アナゴにはアナゴの煮汁で作ったツメを、イカにはイカの煮汁で作ったツメを塗る。
一流の店で一流の職人と向き合うためには〈一流の客〉でありたいと願う著者の客修業と、すし、うなぎ、てんぷらの名店のこだわりや技を描く。(宝島社 1200円+税)
「ひと皿の小説案内」ディナ・フリード著 阿部公彦監修・翻訳
「風と共に去りぬ」のヒロイン、スカーレットの家では、パーティーで何も食べなくていいように、腹ごしらえとしてバターを塗った大きなじゃがいも2つ、シロップつきのそば粉のホットケーキ、肉汁をかけたハムの大きなかたまり(!)が出される。こんなものを食べていてあの細いウエストを維持できるのか?
一方、「グレート・ギャツビー」のテーブルには、道化模様のサラダ、練り粉の豚などなど。文章では???だった料理だが、ムードを再現した料理写真で正体が判明する。
文学作品の中の50の食事を紹介。(マール社 1850円+税)
「居酒屋ふじ」 栗山圭介著
売れない役者の西尾栄一が偶然入った家庭料理の店〈ふじ〉。オススメの「今日っきゃ食べられない鯨の尾の身」とぷるぷるした食感の「ふじ豆腐」と「ちりめんキャベツ」はうまかった。だが、やたらと客に質問したがるおやじに、二度と来るものかと思いつつ、オーディションに落ちた後、足を向けた。あるとき、たまたま隣に座った伊東という男がおやじの話を始める。6代続いた老舗の下駄屋に生まれながらヤクザの舎弟になったおやじの破天荒な人生に、いつしか西尾は引かれていく。
こんな店で飲みたいと思わせる、実在する居酒屋のおやじをモデルにした小説。(講談社 1500円+税)