侵略戦争の責任を裁かないニッポン人の罪
「1★9★3★7」辺見庸著/金曜日
南京大虐殺のあった1937年に自分がその場にいたら、果たして中国人を殺さずにいられたかという問いを自らに突きつけ、記憶の墓をあばく試みに挑んだ辺見は、「過去がげんざいに追いつき、げんざいを追いこし始めたのだな」と書く。
戦争に行って、あの人は変わったと妻に言われた父親にも辺見は問いかけ、ある時、酔った父が「朝鮮人はダメだ。あいつらは手でぶんなぐってもダメだ。スリッパで殴らないとダメなんだ……」と言ったのを思い出す。そして、こう述懐する。
「生前の父は戦争の景色について多くを語らなかったけれど、なんにせよ戦争の生き証人ではあった。父にはひとつのからだに同居してはならないもの、共存できないとされているものが、はしなくも同居していた」
しかし、辺見の父親のようには「変わらなかった」者もいる。たとえば昭和天皇であり、満州国を「自分の作品」と言った岸信介である。しかも、彼らはそのまま戦後を生き、岸は復権して首相にまでなった。
「侵略戦争の最高責任者を、ニッポンという国のひとびとはけっしてみずから責問し、みずからの手で裁こうとはしなかった。なぜなのか。おかしい。実に奇妙である。社会学的にも、歴史心理学的見地からも精神病理学的にもおかしい」