サブカル作品で論じる資本主義の破局
「サブカルの想像力は資本主義を超えるか」大澤真幸著 KADOKAWA/1700円+税
資本主義が破局に向かっていることを予感しながら、それが具体的にどのように終わるのか、われわれは想像することができない。人類の滅亡や地球生態系の破綻なら想像可能であるのに、これは奇妙な事態ではないか。
親密圏で生きている現代の若者は、その外側に広がる〈世界〉に興味を持ちながら、それについて語る社会科学や人文知の言葉には十分に説得されることがない。むしろ成功したサブカルチャー作品のほうが、〈世界〉をめぐる若者の知的欲求に応えているようだ。そこで「サブカルチャーの想像力は資本主義を超えるか」について、考えてみることにしたと、本書のまえがきでは語られている。
「シン・ゴジラ」「デスノート」「おそ松さん」「君の名は。」「この世界の片隅に」など、ここ数年で話題になった映画やアニメやマンガが、さまざまな角度から論じられていく。
たとえば、日本の対米従属に抵抗している点で「シン・ゴジラ」を評価しながらも、敵国への完全屈服という屈辱的な過去に目を塞いでいる戦後日本人の自己欺瞞を最終的には食い破れていないと、その限界性を指摘する。
まえがきで語られた主題は、「おそ松さん」を論じた章「資本主義の鎖をちぎれるか」で検討されている。赤塚不二夫のマンガ「おそ松くん」の10年後という設定で制作された連続TVアニメが「おそ松さん」だ(第1期は2015年の放映)。
ニートになった6つ子は、「働かない自分」を最終的に肯定できるのか。社会学者ウェーバーの資本主義論や、「白鯨」の作者メルビルの奇妙な短編小説「バートルビー」を参照し、ひたすら「私はなにもしないことを好む」と繰り返し続ける男バートルビーによる19世紀のウォール街(アメリカ資本主義)への特異な抵抗の意味を検討し、「6つ子たちよ、あと一歩だぞ」と著者は結論する。